Extension du domaine de la lutte

2005-06-02

そうだ日記を書こう

 しかし書く事が無い。澱んだことしか書けない。煙草が無いと死ぬ思いだ。さっき買ってきた。

 最近唯一、と言っていいのかどうかわからないけれど、おもしろいなあと思ったことは、麻草さんの日記で紹介してた、はてな連作しかない。

http://www.hatena.ne.jp/1117536639

 ここに僕も文章を書いた。読み返してみると、やっぱり、そんなにいい出来ではない。いい出来ではない、とか書くと、まるで何か、自分が本来ならもっと書けるような印象もかもし出せるけど、なんのことはない、これ以上のものが書けないだけだと思う。

 書いてるとまた暗くなってくる。暗くなっているのは誰の所為でもないから、申し訳なくなるけど、でも、今、心の底から何もしたくない。まだ資料作成が残っている。メールの返信も、残っていて、原稿を編集というか、修正依頼をしようか迷っている。原稿を読んで、「」と言いたくなるのをこらえる。自分だって同じ境遇だとしたらそうそう変わらないものしか上げられないだろうのに。

 しかし愚痴愚痴したことを書くのは、本当に誰の所為でもない。それは誓って言えるのだけど。

対症療法

 書くと楽になる、といえば楽になる。対症療法。でもまだ駄目だ。はてなの下書き機能というやつをはじめて使った。なかなか便利かもしれない。そうか、書いたことを隠せるのか。このエントリーの下の記述は、僕以外誰も――まあシステム管理の人とかなら読めるのかもしれないけど――読めないのか。それはいい。となると、単純化した図式を言うなら、下書き機能で覆われた部分の日記は、さながら、隠匿された <真の> 内的日記体系であり、そうすることによって <真の自己> ≒ <真の日記> は守られるというわけで、そして表層化されている部分は、にせ-日記体系とでも言えばいいのだろうか。そのような分裂性質を持つ日記は、やがて離日記化や日記の内破、あるいは石化を引き起こすのかもしれない。というか、このような隠しサイト的なサイトの使い方自体、日記自己の分裂的素養を孕むというのは昔(たとえば侍魂以前とか!それか日記系第一世代とか!)から言われていることだと思った。

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