Extension du domaine de la lutte

2005-07-13

[]狭量

 まあ、非常に殺伐としている心境である。こういう時に「みんな死ね」という言葉は口からうっかり出てくるのだと思うが、その「みんな」とは往々にして、物理的な「みんな」ではない。自分が感じてしまっている嫌な圧力のことを便宜上「みんな」と呼んでいるだけで、誰かではない。仮に死を与えられる能力を所持したとしても、自分と、妻と、あと友達とか、気のいい連中とか、そういうのは残したいし、だから案外「みんな」というのは「僕以外の全員」という意味ではないから、ほんとは、「気持ち悪い連中に限ってみんな死ね」と言うべきなのかもしれない。けれど、説明するのが面倒だから「みんな」って言うわけであり、つまりはそういうことである。あと死ねっていうのも言いすぎなのでもう少しソフトに言いたい。気持ち悪い圧力がみんななくなりますように。遅くなったけど七夕のお願いです。

[]拡散

 あーもう、いけない、日記とかいって気持ち悪い。というか自分の書く日記がよろしくない。それよりも今、原稿書きたくないし、他にもいろいろ、したくないことだらけ。でもやらないといけない。やだなあ。

・久々にここを更新しよう。ここにはたいてい仕事とかに付随する境遇とかで気持ち悪くなった後に暗いことしか書いてないような気がするが、多分自分の中でそういう場所になってしまったんだろう。自分の管理する他の日記は一応たのしいことを書くようにしてるけれど、そのように分かれてしまってよいものなのだろうか、疑問には思う。統合と分離。すべての日記が統合されている時、ひとつの日記しか更新していない時は、たぶん、全的に私を見てもらいたいという気持ちが働いているのだと思うが、このように日記がそれぞれ内容的に分離拡散している時は、その試みが行き詰ったことを示しているのかもしれない。そういえばなんで日記を書いているのだろう。僕は日記なんて嫌いなのかもしれない。


勝ち組負け組という概念を煽った連中を惨殺せしめたいとふと思うことがあるが、私もどちらかというと煽る側に所属し日々銭を稼いでいるため、惨殺計画を実行するのなら同時に私も殺される方になってしまうかと思う。煽る側は何らかの思惑、信念、確信、などに基づいて意図的に仕掛けるかもしれないが、それは拡散すればするほど伝わらなくなるだろう。水が沁み込んでゆくように、ぐちゃぐちゃに、なんだかよくわからなくなってしまって、それが全体となる。


・効率化というのは誰のためにやるのか。自分のためか。


・家に帰れないととても悔しい。私は全てが欲しい。正直の話、そこらに歩いてる人とか、楽しそうに見えて苛々したりもする。そんな状態が続くと、麻痺しているような錯覚をおぼえるけれど、ほんとに気のせいだと思う。というより、それをなんとかするのは自分自身しかいない。


読書中:レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』。ニューアムステルダムメトロポリスへ変化してゆく過程なんかが書かれている、ほぼ冒頭の100ページ程度のところをいま読んでいて、おもしろい。昔のテーマパークの部分とかおもしろい。あと、どうも自分は、実際の建築物よりも記述されていたり絵に描いてあるもののほうが好きらしい。たとえば、以前観た野又穣の展示は良かった。


・エミットローズのポールマッカートニー以上のマッカートニーぶりは賞賛に値する。


・さきほどから目に映る光景が遠い。今日もいつ終わるのか見当もつかない。それがかなり、原因の大きな部分を占めている気はしている。

ゲスト



トラックバック - http://nikki.g.hatena.ne.jp/farrah/20050713