猫の眼

2005-09-02

姉の死

 わたしが姉について知っていることは、たぶんとてもすくない。姉とわたしは歳が十八も離れていて、わたしが物心ついたころにはもう姉は入院しては退院し、退院しては入院し、という生活をしていた。そのころの姉はわたしにとってその存在自体が不思議で、濃密なものだった。自分でも家族のひとりがずっと病院にいるということが不自然なことだということが、わからなかったわけではない。けれど、それを一度だっておかしなことであると思ったことはなかった。それはわたしにとって、たとえば毎日朝ごはんに出てくる納豆くらいに普通のことで、あたりまえすぎる事実だった。

わたしが小学校に上がったころに、姉は最後の入院生活をしていた。そのころには、母は姉に愛想を尽かしたのか、実家に帰ってしまったのだと聞いていた。実際わたしは母親の顔を覚えていない。おかしなもので、姉と似た声の人物が父親と言い合いをしているのを、布団の中で丸まって聴かないようにしていた記憶だけはあるのに――そう今でも夢に見るくらいに――母親の顔はとうに忘れてしまった。わたしは流されるままに父親と一緒にからっぽの家をねぐらにしていた。わたしは毎日学校が終わるといそいで姉の病室まで駆けつけ、父親がむかえに来るまで姉のベッドの横に座っているのが日課だった。病院のにおいをおかしなものと感じることもないほどに、そこの空気に慣れきっていた。姉の本棚には、すこし難しかったけれど本がたくさんあったし、病棟をふらふら歩いていると、看護婦さんがいつもお菓子をくれた。わたしは自分の分と姉の分と父親の分をもらって、病室に帰った。大きな窓のついた部屋で、ガラス越しの汚れた空が嘘みたいな色をしていた。姉とよく空をながめた。わたしはときどき姉の横顔を見た。そしてちょっとだけ安心して、また空に眼をうつすのだった。

小学生時代の前半のおおよそを、わたしはそうやって暮らしていた。病院のある駅に着いてわたしがまずするのは、姉が書いたメモの中にある書物を買いに書店によることだった。病院の駅の書店リストのものがなくなると、わたしはそれを求めて、大きな町に出ることもあった。はじめのころは大冒険だったが、それにもいつしか慣れてしまった。姉は大きな町の本屋までいったという話をするたび、あんたえらいのね、とあたまをなでて、列車切符代を返してくれた。わたしは切符代などどうでもよく、姉のあたたかい手であたまをなでてもらうのが好きだった。ずっとこのままだったらいいのに、といつも思っていた。わたしは姉の手が好きだった。骨ばってか細いのに、わたしひとりなら包み込むことができるような気がした。

わたしの覚えている姉の姿は、すでに弱々しく手足がやせ細り、厳しい顔つきをしていて、それを隠そうとするかのように鋭い口調で話すそんなとげとげとした姿だった。姉を見舞うひとはほとんどおらず、たずねてゆくと、姉はいつもひとりでぼうっと窓の外を見るか、本を読んでいた。機嫌がいいと、姉はわたしに一言二言読んだ本について教えてくれた。

姉は美しいひとだった。顔をしかめたりすることが多かったからひとはわからなかったかもしれないが、とくにすうっととおった鼻のラインが美しかった。衰弱して目は落ち窪み、ほほの肉もほとんどなかったが、きりっとした眉ときゅっと結んだ小さな口が、彼女の意志の強さを示していた。なにより、姉より美しい鼻を持ったひとを見たことがわたしはなかった。

 姉の入院している部屋はいつも整っていた。その入院生活は、ゆうに一年を超すものだった。わたしに買いに行かせた本を、天井までの本棚に、本の背の順にきれいに並べていた。二メートル五十センチもあるという本棚を通信販売で購入したとき、わたしの背はその半分もなかった。

姉の病室に無駄なものはまったくなく、がらんとしたものだった。見舞いに来るひともいないのだから、花一本飾っていなかった。そもそも姉は花がきらいだった。きっと、散ってゆく花を見ているのが辛かったのだろう。だから、今でもわたしはだれかの見舞いに行くときには絶対に花を持っていくことはしない。かならず姉の顔が浮かんで、その姿が枯れてゆく花にだぶる気がして、花屋にすら行くことができない。彼女自身が散りゆく、最後の力で輝きながら腐食してゆく花だったからだ。

整えられた部屋のごみ箱も、からっぽでなければいけなかった。ひとをとおす前にはかならず、それだけでなく一日になんどとなく姉はごみ箱をからっぽに保っていたかった。病室に入るとゴミ箱を空っぽにするのが、わたしが最初にするべき仕事で、わたしはスキップをしてダストシュートにごみを捨てにいった。青いプラスティックのごみ箱から取り出したビニール袋が、ダストシュートをすべりだいのように走っていくのを最後まで見ていると、たのしいような、なんだかこわいような気がした。真っ暗な穴は、自分さえも吸い込んでしまうような気がしたのだ。

姉は看護婦さんに頼んでシーツや枕カヴァーを毎日替えていた。家にいるときも姉は潔癖にも近いほどきれい好きで、一日に二回以上はお風呂に入らなければ気がすまなかったという。そんなときにヒステリックに叫んだりしたから、ママはおうちに帰っちゃったのね、あんただけになってもし戻ってきたら、あんまりいじめちゃだめよ、あたしみたいにね、というのが姉の口癖だった。畝はよく、いもしない母親の話をした。あんたはあたしみたいになっちゃいけない、と姉はくりかえし言った。具体的な母親の話は一回も出てこなかった。母親に関する話は、姉の自己卑下のときのみに聞かれた。

 夜になると父親が自転車でわたしを迎えに来て、わたしは父親のうしろに乗って家路に着いた。わたしが帰るときには、姉はいつも手を振ってくれた。彼女は眠っているときでさえ、起こされてまで手を振ろうとした。姉をおもんぱかって起こさずにわたしたちが部屋を出て行ったときがあると、次の日姉はかならず怒って口をきいてくれないのだった。わたしたちは睡眠障害のある姉を思って部屋を出て行くのだが、姉はかならず自分を起こすようにと念を起こすのだった。

あるとき、耐えかねたのか姉が一回だけ、涙を流して叫んだことがある。あんたたち、あたしをひとりにするときは、そう教えてちょうだい、なんでそんなにあたしの気持ちわからないのよ。姉はそのやせ細った顔をしわだらけにして、ぐしゃぐしゃに泣いていた。ひとのそんな表情を見たのは、はじめてだった。見たこともないほどに顔を醜くゆがませて、叫ばれて、わたしはぎゅっと縮まっているしかなかった。そのときはただこわいとしか思えずにいた。こわくて父親の手をぎゅっと握っていた。あるは、外聞も気にせず、わんわんと泣き続けた。夜も遅かったから、ほかの病室は静まり返っていた。蛍光灯のじーじーいう音を聞きながら、わたしたちはただ立ち尽くすだけだった。じっとしながらも、からだはぶるぶると震えそうになっていた。わたしは姉を怒らせてしまった罪の意識と、恐怖でいっぱいになっていた。

それから、わたしたちはかならず姉を起こしてから帰ることを習慣にした。姉がどんなにぐっすり眠っていても、わたしは彼女を起こしてから帰ることをやめなかった。それはかならず起こらなければならないものだった。けだるげに目覚めた姉は、わたしたちの顔を見るとにこりと笑って、

「またあしたね」

 と、言った。


 父親と一緒に家に帰ってから、わたしと父親はラジオを聴いて過ごした。父親はラジオを聴きながらちゃぶ台で酒を飲んでいた。うちは畳敷きのおんぼろ屋敷で、父親の一升瓶は縁の下にしまわれていた。三部屋しかない平屋建てで、ひとつが台所、ひとつが居間、もうひとつは姉とわたしの部屋だった。わたしは姉のいなくなった部屋に布団を敷いて、父親は居間に布団を敷いて寝た。

ラジオを聴きながら、父親はいつも

おしんこいるか」

と、しわしわの手でつまみのおしんこの楊枝をわたしにくれた。わたしは番茶を飲みながらおしんこをぼりぼりとかじった。これが、わたしたちの夜の決まった過ごし方だった。父親は日本酒を片手に、わたしは番茶を片手に、焼き鳥や、たこの酢の物や、めかぶや、もずくや、おしんこや、そういったものをちょびちょびと食べた。わたしはいつも好きな食べ物、の欄におしんこ(なす)と書いた。

ラジオでは各曜日でやっているものが違い、わたしは木曜日クイズ番組が大好きだった。父親とわたしは早押しでちゃぶ台をたたいて、クイズごっこをするのだった。父親はたいていどの正解者よりも早く正解がわかっていた。大人気なくばーんっと机をたたくと、

ゲーテ!」

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない!」

「石橋さん!」

「生類憐みの令!」

 などと叫んだ。そして、ラジオ回答者がうんうんうなっているときに、ゲーテというドイツ詩人について、パンがなければお菓子を食べればいいじゃない、というのはフランス皇女マリー・アントワネットが言った言葉だが、実はまちがった意味で言い伝えられていてお菓子というのは小麦粉を練って作っただけの、パンより簡素な食べ物だったとか、ブリジストンというのは英語の橋ブリッジストーン石を組み合わせて作ったんだとか、生類憐みの令というのは徳川家綱というひとが犬好きのあまり作った令だとか、とにかく詳しく説明してくれるのだった。

するとあくる日金曜日にはかならず姉にそのクイズを出した。もちろん姉は、なによ、わかんないわよ、はやく教えなさい、いらいらするから、と言った。そこにわたしは得意げに、父親の教えてくれた答えを得意げに発表するのだ。姉はどうせお父さんからくだらない知識ばっかり教えてもらったんでしょう、と文句を言ったが、その顔は笑っていた。わたしはいつも得意なこと、の欄にクイズ、と書いた。

そうやって毎週木曜の晩になると、ラジオを聴きながらわたしは、たとえばおしんこ茄子のへたをかけて、たとえば、さくらんぼの最後の一個をかけて、父親の飲み干した一升瓶のふたをかけて、父親に挑んだ。しかし当然一回も勝てることはなく、戦利品はすべて父親のものになった。

父親は変わったひとで、小学校ではやっていた一升瓶のふた集めを、わたしに敵対するように一緒にコレクションしていた。わたしはいつも病院へのゆきみちであちらこちらと寄り道をしながら酒屋の裏でふたを拾うのだが、父親はなぜかわたしよりずっと多くのびんのふたを持っていた。わたしたちは帰ってきてから、ご飯を食べるとたまに夜道で一升瓶のふたで遊ぶのだった。父親は、どんな遊びもわたしよりうまかった。だからわたしの遊びの師匠は年老いた父親だった。

わたしたちは夜遅くまで、ただラジオを聴いて過ごした。父親はどんなにおなかが減っていても、九時のラジオのやっている時間帯(ほかには、人生相談、服装の流行番組、毎回講師を呼んで広告の授業をするものなど)に間に合うように自転車を飛ばした。九時が近づくに連れ、父親はあせった。わたしを自転車に残してスーパーに行くときはその焦りは絶頂になり、メンチカツを食べたいと言っても、間違ってハムカツを買ってきたり、いりもしない箱入りティッシュの安売りを買ってきたり、きらいなはずの六ピースチーズを買ってきたりした。そのくせおしんこは絶対に忘れなかった。父親は命がけのように自転車を飛ばして家に帰り、ラジオの定時に間に合うと、ほっと胸をなでおろした。

「よかったね」

わたしがいうと、

「よかったよかった」

と父親はなにごともなかったように、いそいそと台所から一升瓶をもってくるのだった。まるでスキップするような足取りで。それから延々とわたしは番茶を飲み、父親は日本酒を飲みながら、つまみを片手にラジオを聴いているのだった。

夜といえば、姉はなにより夕ぐれどきがきらいだった。小さなころにわたしが窓にはりついていると、姉が急にすごいいきおいでばさりとカーテンを閉めたことがあった。それはまだ姉が入退院をくりかえしていたころの、姉がちょうど退院して家にいるときだった。

 姉は、湿った畳の上に何日も洗っていないからだで横たわっていた。彼女の着ている白い浴衣もなにかじめりとして、ふとんごとなにかの生き物のように見えた。古い風のとおるガラス戸がびしびし鳴り、部屋には古い灯油ストーブが置いてあった。居間とわたしたちの部屋のあいだのふすまは開け放たれており、わたしはわずかなすきまをとおりぬけていくオレンジ色の玉を見ようと、ガラスに吸い付いた。ごみごみ住宅の建った窓のすきまから夕陽が見える一瞬のことだったのだ。

 そこに姉が、わたしをさえぎるように分厚いカーテンを閉めた。

「やめなさい」

「どうして?」

 わたしは思わず振り返った。そこには、肉のないからだに白い浴衣をべたりとまとった姉の姿があった。

 虫唾が走った。

 それが自分の姉の姿だとは信じられなかった。まるで亡霊か妖怪のように、姉はたたずんでいた。ずっしりと重い空気をまとって、わたしの背後にいた。父親は、仕事でまだ家には帰っていなかった。姉はこの世のものとは思えないもののように見えた。姉は、じっとりとした眼でわたしを見据えていた。わたしはその眼から眼が放せなかった。わたしの頬の横にカーテンがあり、それもやっぱり湿っていた。ぶあつい、深緑をしたフェルト生地のよごれたカーテンだった。

「あんた、夜はこわいでしょう」

 しばらくして、そのままの体勢で姉が口を開いた。わたしがうなずくかうなずかないかのうちに、姉はカーテンをもう一度開けた。わたしは再び窓のほうを見た。

 外は、静かな夕闇におおわれていた。明日が雨だからか、なんとなくむらさきがかって見えた。月も、雲も、星も見えなかった。

「こわい」

 わたしがつぶやくと、姉はしゃがみ、手を差し伸べてわたしを立ち上がらせようとした。その姉は、もう亡霊の姉ではなかった。やせ細ってはいたが、やわらかい表情をした、いつもの優しい姉だった。わたしは姉の手を取る前に、姉の胸に顔をうずめた。浴衣は垢がたくさんくっついていて、肌もべとべとしていた。けれど、においをかぐと、安心できた。姉はわたしのことを抱きしめた。髪の毛は汚れてべとべとしていて、すごくくさかった。だけれど姉のか細いからだは、迷わずわたしを抱きしめていた。

 わたしのうしろで、姉がカーテンを器用に閉めた。

子供はまだ知らなくていいのよ」

 姉がぎゅうとわたしを抱くと、骨がごつごつとかんじられた。

「まだ、いろいろこわいことはたくさんあるわ、だけど、まだ知らなくていいのよ」

 けれど、子供にだってこわいものはいくつもあった。だけれど、となりには手をつないでくれるひとがいる。たぶん、姉が言ったのは、手をほどかれたときのこわさのことなのだろう。

夜になれば、暗闇がやってきて、すぐに飲みこまれてしまう。今考えてみれば、夜はなにかしらわたしたちを助けるようなものをひそませてはいるけれど、姉はその恐怖に耐えられなかったのかもしれない。たとえば、夏休みの最大のたのしみ縁日も、テキ屋のおっちゃんたちはみんなこわいし、それにいきみちも帰りみちもひとりじゃ無理だ。闇の中のたのしいものは全部こわいものと裏表になっている。

姉は、きっと怖かったのだ。だとしたら、姉のどんなに幼いことか。そして、なんと孤独なことか。もしかしたら、わたしはそんな姉の幼さを愛していたのかもしれない。大人でも子供でもない姉という生物は、どんな感覚で夜をかんじていたのだろう。考えてみれば、姉は毎晩ひとりの夜を冷たい病室で送っていたのだ。わたしには、ラジオと父親がいたのとは逆に。


 ただひとり、姉を尋ねてくるひとがいた。そのひとはたぶん姉よりもすこし年齢が上のひとなのだろう。それとわかっているのも、たたずまいなどではなく、ただ姉が敬語を使っていたから、というだけだった。そのひとはグレーのセーターに青いボーダーのシャツを来て、ゆるゆるのずぼんをはいていた。すれちがったときに煙草のにおいがしなかったから、たぶん煙草は吸わないひとなのだろう。手にはいつもサラリーマンふうの鞄を持っていて、姉のためにいつもキハチのお菓子を持ってきた。すごくせいが高くて、病院の扉を身をかがめて入ってくる。

 彼が来るのは二ヶ月に一回くらいのもので、その空気はなにかぎこちなくてよそよそしく感じられた。わたしはお客さんが来たからといって、いきおいよくゴミ箱を空にするためにダストシュートに駆け込むわけだが、いざふたりのいる病室に入るとなるとなかなか勇気がいった。姉は顔をほころばせることもなく、なにか感情に訴える言葉を発することもなかった。ふたりのあいだに会話も乏しく、ぽつ、ぽつ、とお互いが仕方なしに話しているようにしか見えなかった。わたしが思わず部屋から出て行こうとすると、姉は

「あんたは三十分ばかり外にいなさい」

 と言って、わたしにお菓子を手渡した。わたしは黙ったまま廊下に出て、三十分を談話室のテレビを見たり、本を読んだり、庭に出たりして過ごした。そしてそろそろかなというころになると姉の病室に戻るのだった。わたしが戻ると、ふたりはまるでわたしを待っていたかのように眼をぱっと上げて、男性

「もうこんな時間かぁ」

 というのをきっかけにして、

「それじゃあ、また」

「はい、ありがとうございました」

 と別れを告げるのだった。その様子を見るかぎりでは、ふたりはお互いに戸惑いながら三十分ばかり時間をともにして、男性は「それでは、また」を言うタイミングを見計らって、姉は男性の「それでは、また」を待っているようだった。会話が終わると、男性は今まで停滞していた空気を乱すようにして帰っていった。

 結局、それがだれだったかを姉にたずねたことはなかった。



 その日は授業参観のあった日だった。父親はいつも授業参観にみんなのお母さんたちに混じって、頭ひとつ飛びぬけたごましお頭ですうっと立っていた。いづらいといった様子はいっさい見えなかった。けれど、その年の差は歴然としていた。

その日の時間割は国語社会、算数、体育で、立ち並ぶ父母たちと比べてわたしの父親はずっと年上だった。しかしその顔は絶えずにこにこして、社会の時間に、先生が試すように

「この記号は、わかるお母さん方はいらっしゃいますか」

と言ったときには、真っ先に手を上げ、

「それは田んぼです」

と普通の顔をして答えた。クイズの達人の父親である。知らないはずがない。教室を見渡すと、こちらを見ている沙緒里ちゃんと眼が合った。

「じゃあ、これはなんでしょう、ちょっと難しいですね、みんなのなかでもわかるひとはいるかな」

と言う問いかけにも、いち早くすっと手を上げて

「それは発電所です」

と答えた。みんなはほうーっと息をついて父親を見た。

 また、体育の時間でも父親はヒーローだった。クラスを五十音順に五つに分け、親子リレーというのが行われた。わたしたちはなんとアンカーだった。走りにそんなに自信のないわたしがどうしよう、と父親の顔を見ると、父親は、真剣な顔をして、任せとけ、と言った。

 チームメイトクラスで二番目に足の速いたっくん、それからたっくんのお母さん、戦隊ものごっこがすきなごまくん、ごまくんのお母さん、運動は苦手だけど漢字大王のゆりちゃんとゆりちゃんのお母さん、おっとりしたゆうくんにゆうくんのお母さん、それから、しっかりものの沙織ちゃんに沙緒里ちゃんママだった。沙緒里ちゃんママはわたしを学校帰りに家に寄らせては、よくわたしに病院で食べなさい、と手作りお菓子をくれた。父親は沙緒里ちゃんママにどうもどうも、いつもお世話になっています、と何度も頭を下げた。わたしもありがとうございます、と馬鹿丁寧にお礼を言ってみた。

 春の空はくっきりと晴れ、夏の前兆かくっきりした雲がぽっかり浮かんでいた。Tシャツにはちょっとうすらさむくて、だれからともなくみんな肩をすくめて寄り合っていた。わたしたちはぴょんぴょんはねたり、ふたり一組で準備体操をしたりと、準備に余念がなかった。父親は似合わないTシャツを着て、ちょっと所在なさそうにしていた。

 リレーがはじまるとたっくんはまず先頭に走り出て、二番手に大きく差をつけてお母さんにバトンを渡した。だいたいどこのお母さんも運動神経は似たようなもので、勝敗子供の力にかかっていた。ごまくん、ゆりちゃん、ゆうくん、と順番がまわるたびわたしたちのチームは二位と三位を入れ替わるようになり、ゆうくんのお母さんから沙緒里ちゃんにバトンが渡ったとき、わたしたちは三位になっていた。

 けれど、すこしの差を沙緒里ちゃんはがんばって縮めようとした。

沙緒里ちゃん、ぐんぐん走る。もうすこしで追いつく! もうすこし! そこに、

「沙緒里ちゃんがんばれ!」

 いきなり父親が叫んだ。それに啓発されて、それまで息をつめて見ていたみんなも叫びはじめた。

がんばれ沙緒里ちゃん!」

「もうちょっとだ!」

 わたしは内心どきどきしはじめた。

 そのとき、沙緒里ちゃんが二位に躍り出た。

がんばれがんばれ

「やったぞ沙緒里ちゃん!」

 みんなは口々に沙緒里ちゃんを応援した。バトンは、沙緒里ちゃんママに渡った。沙緒里ちゃんママはがんばったが、また三位に抜かされてしまった。

いよいよわたしの番が来た。一瞬からだがぶるっとした。わたしは二三回地上を飛ぶと、スタートラインに向かっていった。どきどきしながらスタートラインに立った。隣を二位のるなちゃんが走り出した。幸運なことに、るなちゃんはわたしより足が遅かった。がんばれば抜ける、わたしが確信したとき、バトンはわたしの手に渡った。

わたしは力いっぱい走り出した。足をおしりのところまで精一杯上げ(これも父親が教えてくれたことだ)、足がもつれそうになりながら、るなちゃんの背中を追った。るなちゃんの背中がどんどん近づいてくる、走れ走れ走れ走れ、そこに、父親の

がんばれぇ!」

と言う声が響いた。わたしはバトンを握り締めると、一気にるなちゃんを抜いた。

そのとき、一番の真澄ちゃんがバトンを落とした。追いつけるかもしれない、わたしは息切れも気にせず精一杯の力を振り絞った。けれど、真澄ちゃんはクラスで一番足の速い女の子だ。バトンを拾うとまた全速力で走り出す。トラックはもう数メートルだった。

最後の曲がり角を走ると、わたしの目には父親の顔が見えた。父親はしわだらけで、でも真剣な顔をしてわたしのバトンを待っていた。わたしも速度を増して父親にバトンを渡した。

ぱん、ぎゅっ。

練習もしていないのに、絶妙なタイミングだった。わたしは父親の歯車がかちりと合わさったような瞬間だった。

「任せとけ!」

 父親は言って走り出した。

メートル前を真澄ちゃんのお父さんが走っていた。真澄ちゃんのお父さんは父親よりずっと若い。はらはらした。しかし父親は脅威のスピードでぐんぐんぐんと大またで走り、あっというまに真澄ちゃんのお父さんに追いついた。ふたりは抜きつ抜かれつをくりかえしながら、最終コーナーをまがった。そのとき、父親がぐいんとスピードアップした。

そして、父親は、真澄ちゃんのお父さんを抜いた。

 父親は両手を大きく上に上げ、白いテープを切った。しかし、その瞬間、父親は宙に飛んでばたりと倒れこんでしまっだのだ。みんながわあっと声をあげて集まり、先生が焦って近づくと、数秒間そのままだった父親はむくりと起き上がり、恥ずかしそうに立ち上がった。

「転んでしまった…」

 大歓声が父親を包んだ。たっくん、ごまくん、ゆりちゃん、ゆうくん、沙緒里ちゃんが父親を取り囲み、みんなは両手をたたきあった。わたしも遅れてその輪の中に入ると、

「おとうさんやったね」

と言った。父親は、すりむいたおでこの傷を触りながら、照れて笑った。

 その帰り、わたしたちは自転車をふたり乗りして姉のところに向かった。夕方になったその部屋はすでにカーテンが閉められており、わたしたちを見るとすぐ、姉は授業参観の様子を聞きたがった。すぐさましゃべりだすわたしをよそ目に、父親は飲み物を買うといってなにがいいかたずねた。

「わたしおーいお茶

 わたしが真っ先に手を挙げて言うと、姉はだるそうに

「あたしはそうねぇ、ファンタオレンジ

「そんなの飲んでいいの?」

 わたしが聞くと、姉はすました顔で

「いいのよ」

と言った。父親は、

「じゃあおれはビールにしよう」

といって、部屋を出て行った。

 わたしは姉の前で今日のことを熱弁した。誰より早く回答した父、リレーで一番になった父、ゴールと同時に転んだ父について、形容を施しながら丁寧に説明した。姉はその様子をふうん、ふうん、と聞いて、それからわたしをじっと見て言った。

「あたしがいければいいのよねぇ」

 言ってから、すこしだけ姉は眼をつむった。姉がなにを考えてるのか、わたしにはわからなかった。すると姉は、思いついたようにわたしの手を取った。

 姉はときどき、姉が自分の手とわたしの手を比べて見つめることがあった。わたしの手を自分の手の上に重ね、爪のかたち、指のかたち、手のひらのふくらみを指でゆっくりなぞり、自分の手と比べ、それから手相をじっくり見てから、

「あんたの手は、本当にあたしの手にそっくりね」

と言うのだった。事実わたしの手と姉の手はそっくりだった。すらりとしたつめ、骨ばった指、いびつに曲がった右手の親指まで、わたしの手は姉よりひとまわり小さかったが、わたしたちの手は本当にうりふたつだった。そのいつくしむような行為で、わたしは姉にとても大切にされている気がした。

そのとき、わたしの手を自分の手に乗せてじっくり見てから、姉は言った。

「あたし元気になったら、あんたの授業参観行きたいわ」

 わたしはうれしくなって、ぜひ来てほしいと騒いだ。しかし、それが望めない未来であることも同時にわかっていた。かなしい思いをふりはらうようにして、わたしたちは話した。話が途切れたら、姉がどこかに行ってしまいそうだったからだ。夢物語の裏にはかならず大きな穴が口を開けていた。

「あたし、お姉ちゃんが来てくれたら、まっさきに手挙げるんだ」

「そうね、だってあんた、クイズ王だものね」

漢字の問題だって、お姉ちゃんが来てくれるならゆりちゃんに負けないくらいがんばって覚えるよ」

 わたしが言うと、姉はすこし黙って、それからつぶやくように言った。

「あんたいい子ね、本当に・・・・・・」

 姉は眼を閉じて、そのまま続けた。

「あたしがいなくなったら、パパを頼んだわよ。あんたみたいな子がどうして自分の子供じゃなかったんだろう……」

 姉の瞳から、ぶわりと涙が吹き出た。それは、ぼろりぼろりとぼたん雪のように落ちて、ベッドカヴァーを濡らした。白い上掛けのシーツに、灰色のみずたまりがいくつもいくつもできた。わたしはどうすればいいかわからず、ただ動揺していた。姉は泣きじゃくりながら

「あたしだって外に出られるはずだったのよ、退院だってできるって言われていたんだから、外に出て、あんたの参観日だって、運動会だって、がんばって出るつもりだったのよ」

 姉は、後ろ手に枕を取ると、いきなり壁に投げつけた。

「できるはずだったのよ、あたしが、あたしができるはずだったんだわ」

 姉は叫んだ。わたしはそっと見ていることしかできなかった。すこしだけ手を伸ばせばその手はあったのに、わたしはその手を握ってあげることもできなかった。取り乱した姉を見るのがはじめてだったわけではない。ただ、なにか予感のようなものがひらめいたせいで、わたしは姉の手に自分の手を伸ばすことができなかった。

「あんたはほんとにいい子なのよ。本当にいい子でよかったわ。パパを大切にするのよ。パパを見て生きるのよ」

 姉が泣き続けるので、わたしもかなしい気持ちになって涙が出てきた。姉はさっきより大きくしゃくりあげながら、泣き続けた。いつまでも泣いているので、わたしもどんどんかなしくなってわあわあ泣いた。部屋の中にふたりの泣き声がこだました。うえーん、うえーん、わたしは声をあげて泣いた。

しばらく泣き続けていると、父親が煙草くさい息で「買ってきたぞー」と戻ってきた。そして泣き続けるわたしたちを見て

「いいこだから、ふたりともいいこだから泣かない」

と言って、わたしたちそれぞれの頭をなでた。それから

「これ飲みなさい」

と、ひとりひとりにビールを手渡した。

「なんだよぉ、あたしはスーパードライなんかきらいなんだから。エビスじゃなきゃいやよぉ」

 姉は泣きじゃくりながらプルトップを空けてビールをごくごく飲んだ。わたしも泣きながら、生まれてはじめてのビールをごくごく飲んだ。炭酸が強くて、苦かった。変な味だと思いながら、涙を隠すように飲み続けた。

「泣かない泣かない」

 父親は、いすに座ってビールを飲みながら続けた。姉は尚はむかった。

「だいたいあたしファンタオレンジが飲みたかったのにどうしてビールなのよお、おかしいじゃないよぉ」

  泣きじゃくる姉を笑顔で見ながら、父親はいいから飲みなさい、と言った。そしてわたしたちは泣き声の大合唱ビールを飲んだ。

その日は、わたしにとって眠れない夜となった。一晩中を、トイレでげえげえ吐きながら過ごしたのだ。あんなもの二度と飲むか、とわたしは思った。それでも父親はやっぱりわたしのそばにしゃがんで日本酒を片手で飲みながら、にこにこと笑っていた。


あくる日は特別な日だった。沙緒里ちゃんちのお夕食に招かれていたのだ。普段父親と晩酌をしているだけのわたしとしては、沙緒里ちゃん一家が夕食に招いてくれることがとてもうれしかった。

沙緒里ちゃんの家はマンションの一室で、うちみたいなおんぼろ日本家屋とは違ってなんだか洋風なおうちだった。お夕食に招かれると、お母さんはもうご飯の私宅をしており、たいていわたしたちが居間でテレビを見ているあいだにお父さんが帰宅して、それで家族がそろうという三人きりの家族だった。だけれど、同じ三人とは言っても自分の家とはあまりに違いすぎて、まったく同じ気持ちになれなかった。だから、沙緒里ちゃんの家に来たときは、すごくたのしいけれど、すごく変な気分になって帰ることが多かった。

逆に沙緒里ちゃんがわたしの家に来ることはなかった。うちはおんぼろ屋敷だったし、ひとをとおして出すようなお菓子もない。だから、かえってすぐ冷蔵庫からイチゴショートケーキが出てくると、とってもうれしくなるのだった。

「すきでしょう、いちご

 沙緒里ちゃんママに聞かれて、わたしはいきおいよくはい、と言った。けれど次の瞬間に思っていたことは、このショートケーキお姉ちゃんにも食べさせてあげたいなぁということだった。すると沙緒里ちゃんママはわたしのこころを見透かしたかのように、

「こっちにも、おみやげがあるから帰ってみんなで食べるのよ」

 と言ってくれた。

 沙緒里ちゃんのママは、本当に魔法使いみたいだなぁと思っていた。ごはんが作るのが上手で、たまにはお菓子も作ってくれるし、そのやり方も教えてくれる。ケーキだって買ってきてくれるし、たくさんのかわいいお花をベランダに栽培している。食卓にも、いつだっていろんな色の花が生けられている。顔だってかわいいし、ちっとも老けていない。女の子のあこがれのような存在だなぁと思った。そのときはまだみんなの家がこうであってうちだけが特別だなんて気づいていなかったから、ただのうらやましい存在、というだけだった。

 そして沙緒里ちゃんママの作るスパゲティ・ミートソースは、とっても美味しかった。これもまた特別な感じがした。トマトをつぶして作るのよ、とはじめに聞いたときはこわいなぁ、どんなものができるんだろうと思っていたけれど、それがまたとっても美味しかった。父親と行く喫茶店ナポリタンなんて、ものすごくランクが下のように思えた。残酷なことに、そういうときかならず父親相手にあれがよかったこれがよかった、と話せてしまう子供だった。けれど、そのくらいに沙緒里ちゃんの家はワンダーランドのような夢の国だったのだ。

 わたしは、三人がお父さんを中心にして並んだときの、三角形のかたちが好きだった。そうやって写っている写真があって、それは今のテレビの上に飾られていた。わたしの家には家族でとって写真が一枚もなかった。探そうともしなかったし、だいたい家族がそろって写真に納まるという概念自体が頭になかった。沙緒里ちゃんの家には何冊ものアルバムがあって、それを開きながら沙緒里ちゃんは動物園や、旅行の話をしてくれた。

 そのかわりにわたしがするのは、父親と聞くラジオから仕入れた知識と、姉から教えてもらった本の話だけだった。夕食を前にして、わたしはミルフィーユというのはフランス語で千枚のはっぱという意味なんだとか、新五千円札になった樋口一葉はものすごいド近眼だったけれど、ほかの文学者に見栄を張ってめがねをかけるのが気に食わなくって、めがねをかけなかったんだとか、そういうことばかりだった。

 そして、食事を進めながら

沙緒里ちゃん一家はほほうとその話を聞いてくれるのだった。そのうち、話はこのあいだの授業参観の話になった。授業参観からしばらく忙しくて話を聞いていなかった、というお父さんに、沙緒里ちゃんと沙緒里ちゃんママ一生懸命になってこのあいだのリレーのことを話していた。ミートソースはいつものとおり美味しかった。

「おじちゃんはね、いっちばんに沙緒里のことがんばれって言ってくれたんだよ」

 沙緒里ちゃんが報告すると、今度は沙緒里ちゃんママバトンタッチ

「そうよー、それにねぇ、走るのだって、すごく速かったのよ、クラスでも若い真澄ちゃんのお父さんのこと抜いたんだもの、すごかったわよぉ」

 そういうとき、わたしはなぜか置いてきぼりにされたように気持ちになる。一生懸命場に身を任せることが精一杯だった。

社会の記号だっていっぱい知ってるんだもんね」

突然沙緒里ちゃんに振られて、わたしはちょっと戸惑った。

「うん、うん、だって、クイズ王だもん」

「いいよねーおじちゃん物知りで」

 サラダに入っているオリーブが、わたしは実は苦手だった。わたしはフォークの先を使って、オリーブをもてあそんでいた。

「いいなぁ、だっておじいちゃん、もうけっこうな年齢でしょう?」

 一瞬、ときが止まったような気がした。場の空気も、ぴたっととまった。わたしは気まずくなって、気づかなかったふりをしようとした。確かに父親はおじいちゃんって言われても仕方のない年齢だし、そういうふうに勘違いすることだってあるだろう、と思った。沙緒里ちゃんだけがミートソースをぐるぐるまきとろうとしていたけれど、さすがに気づいて、机の上のすべての物音が消えた。遠くでニュース番組キャスターが人間味のない声でニュースを読んでいた。

 ふとそちらを見て、なにか話題を探そうとした。けれど、わたしに見えたのは家族三人がなかよく三角形で写っている写真だけだった。

「あれはどこで撮ったんですか」

 仕方無しに、わたしは写真たちの写真を指差していった。

「ああ、あれはこのあいだのスペイン旅行で撮ったんだ」

 ちょっと遅れて、沙緒里ちゃんパパが答えた。

「そうよ、そう、そうだわ、そのサラダに入っているオリーブは、そのおみやげなのよ」

 沙緒里ちゃんママが必死なのもわかった。だけど、わたしは言いたかった、別に父親は父親なんだからいいんだと。おじいちゃんって呼ばれたって、そういうことに傷ついているわけじゃないということを。でも、わたしにそれをどうやって説明することができただろう? だって、その空気のよどみ方は尋常ではなかったのだ。おぞましいすきまから闇が流れ出すのがわかった。その沈黙は、そのときのわたしにとってはあまりに雄弁だった。

 早く、早く父親のいるおんぼろ屋敷に帰りたかった。時計に眼をやると、時間はもう九時半をすぎてしまっていた。ラジオ番組も終わってしまった。わたしは、我慢できなかった。そして、静かに立ち上がった。

「ごめんなさい、わたしもう帰ります」

「そうね、もう遅い時間だから」

「車で送っていこうか?」

 沙緒里ちゃんママパパが、立て続けに言った。その中で、沙緒里ちゃんだけがまごついた顔をしていた。ごめんね。わたしはこころの中でつぶやいた。沙緒里ちゃんが悪いわけじゃないんだ、いや、だれかが悪いわけでもない、誰かが悪いのだとしたら、誰しもが悪いのだ。

 わたしはジャンバーを来て、ランドセルを背負った。早くこの息苦しい空間から出たかった。

「それでは、ごちそうさまでした、ありがとうございました、沙緒里ちゃんまた明日ね」

 こういっておけば、だれにも怒られない。わたしはわかっていた。だけれど、沙緒里ちゃんの家の扉を閉めてから、涙が止まらなかった。わたしは猛ダッシュで帰った。マンションの八階から全部を階段で降りて、土手を通って、それから信号を渡ればすぐだった。

 そこには、いつもの顔をした父親がいて、それからいつものように狭くて湿っぽい部屋が待っているのだ。


 その日はそうじで遅くなってしまったから、わたしは急いで病院にいった。ランドセルの中で教科書が上下して、かたかたかたとリズムを打った。

 いつもと同じように病院の入り口で面会バッヂをもらうときに、面会記録に姉の病室を書こうとして、ふと上の欄にも同じ番号があるのに気が付いた。名前の欄をたどると、四角張った文字で「遠藤進」という名が記されていた。聞いたことのない名前だったが、姉の病室に面会に来るひとといえば、あの背の高い、背中を曲めたひとだとしか思えなかった。グレーのセーターと、頭をかがめて病室に入るときの彼の姿が浮かんだ。

 わたしはバッヂを右胸につけると、エレベーターの前まで走ると、上のボタンを押した。このくらいの時間になると面会を終えて帰宅するひとばかりが降りてくる。だけれど、だれが家族でだれがお見舞い客なのかすぐわかる。笑ってるひとはお見舞い客、嘘笑いは家族

 ぽーん。三角ボタンのランプが消え、エレベーターがやってきて、わたしはひょいと乗り込んだ。ついでに見舞い客を見送ったおばさんがひとり乗ってきて、エレベーターのドアが閉まるとおばさんはほうっと息を吐いた。

 入院しているのはだれなんだろう。だんなさんか、それとも、息子さん、娘さんかな、おばさんは一足送れて三階のボタンを押して、髪の毛をくくりなおしながら、わたしに眼をうつした。

「お嬢さんは、お見舞い?」

 こんなふうに急に離しかけられることはたまではない。わたしみたいなちびがこんな時間にやってくるのだから、そんな応対には慣れていた。

「はい、姉が入院しているんです」

「偉いのね、こんな時間に」

「ありがとうございます」

 だいたいのエレベーターの会話はこんなもので終わる。そしておばさんは自分の進む階で降りて、

「お大事におっしゃってね」

 と言って去っていくのだ。ぽーん、エレベーターが三階につくと、おばさんも、例外ではなくそう言って、飴をひとつくれた。れもん味のまるいキャンディだった。

 エレベーターが五階について、わたしは足音を忍ばせて姉の病室に向かった。病棟はいつものようなざわめいていた。談話室では小さく音を絞られたテレビが流れており、老人たちは車椅子でたむろしておしゃべりに花を咲かせていた。わたしはこそこそと廊下をすり抜けて、姉の病室に着いた。足を止めると、その引き戸はすこしだけ開いていた。まえかがみになってそのわずか一センチばかりの隙間をそうっとのぞくと、中ではいつもは穏やかに座っている男性が立ち上がって姉になにか言っていた。

 しばらくはぼそぼそとした聞き取れない会話が続いた。男性はあっちへうろうろ、こっちへうろうろしながら、いらいらした様子でつま先をときどき鳴らした。ふたりの口調が荒くなるのがわかった。わざと押さえ気味に話しているのが、この幅から見ているわたしにさえ伝わってきた。わたしはつばを飲み込んだ。眼が離せなかった。

わたしが外に出ているあいだ、彼らはこんなふうにいつも言い争っていたのだろうか。考えてもみなかったいやな想像だけがぐるぐるとまわった。敵なんだ。わたしは感じた。そうか、こいつは姉の敵なんだ。いつもお菓子なんて持ってくるけれど、このひとは姉の敵なのだ。思わずポケットのキャンディをにぎったその瞬間、男性は急に向きを変えて姉のベッドにのしかかるような体勢を取った。

男性は、姉の首を絞めようとしていたのだ。

その瞬間、わたしは病室に駆け込んでいた。もちろん子供の力だからかなうはずはなかった。けれどわたしは懸命になって男性の腕に噛み付いた。姉が殺されてしまう。姉がいなくなることは実際的な恐怖を味わったのは、それがはじめてのことだった。姉がいなくなることを考えると、あまりにこわかった。

それは、実際わかっていたはずのことだった。だけれどこの世界から姉という存在がいなくなってしまったときのことなど、想像したこともなかった。わたしと同じ指を持った姉がいなくなってしまうのだ。同じ指の分身なのに。そう思うと、わたしは無我夢中でしがみつくことしかできなかった。

いてて、いて、と言いながら、男性は手を離した。顔を見ると、いつもとは違った冷たい眼をしていた。

「帰るぞ」

 そう言って、男性は無理やりにわたしの手を取って、歩き出そうとした。

「ちょっと待ちなさいよ」

 わたしがいやいやをするようにそれを振りほどこうとするのと、姉が男性に手を伸ばしたのは同時だった。姉はベッドからずれ落ちると、ゆかにしゃがみこむかたちになって、必死で弾性の指からわたしのことを引き離そうとしていた。それは、尋常なものとは思えないものだった。

「あなたには関係ないのよ!」

 姉はぜいぜいと呼吸を荒くしながら、わたしのしたのと同じように、男性の手に噛み付いた。その形相は、いつか見たあの夕暮れどきの姉の顔と同じだった。姉の顔は醜くゆがみ、ただわたしを助けるためだけにそのからだはあった。やっとのことで男性はわたしの手を離した。

「あんた、殺したいならあたしを殺せばいいわ、だけどね、この子はあんたのものじゃないのよ、汚らわしい手で触らないで」

 ぜい、ぜい、と大きく息を荒らして、姉は一言一言をゆっくりと、確かめるように言った。まるでそれは、自分の気持ちを彼の胸に刻み付けるような作業に見えた。

 男性はなにも言わなかった。しばらく彼は姉とにらみ合っていたが、突然鞄を持って病室を出て行った。

 それを確かめるのと同時に、姉が床に倒れこんだ。わたしはナースコールをあわてて押して、それから姉を起こそうとした。しかし、骨ばったそのからだは、びくともしなかった。姉は半分白眼をむいて、腕をだらりとたらしていた。わたしは思わず、姉に抱きついた。姉のからだからは、あのにおいがした。あの、夕陽をとがめた日のにおいがした。わたしはあの日のことを思い出しながら、呪文のように心の中で唱えた。

 神様仏様キリストブッダ様アジャセ様それからいろいろなところの神様、だけでもいいから姉を救ってください、そのためだったらなんだってします、石炭運び当番だって、鶏のえさやりだって、それからトイレ掃除だって、それから洗濯だって、お料理だってなんでもします、だから姉を助けてください。わたしの指の分身がいなくなったら困るんです、ひとつひとつじゃいけないんです、だからお願いです、助けてください。

 頭の中には、あの日眼に映った姉の姿が渦巻いていた。

 それから姉を見舞うものはひとりとていなくなった。


 ある日わたしは姉に小堀杏奴(あんぬ、と読むらしい)というひとの『朽葉色(くちはいろ、と読むらしい)のショール』という本を頼まれて、本屋に立ち寄ってから病院に行った。ぱらぱらめくってみると、漢字がめっぽう多くてわたしにはむつかしそうだった。ちょっと遅くなってしまってあわてていたのでカヴァーをかけてもらうのを忘れ、しかたなく道端で返されたばかりの算数のテストカヴァーを作った。わたしはそれをランドセルにしまうと、病院の面会記録を書き、面会バッヂをもらい、姉の病室に向かった。

 病室に入ると、姉はいなかった。診察でもしているのだろうか、そう思って面会用のいすに座り、ちょっとはやめの蜜柑(父のお土産)を食べた。すっぱいなあ、でもおいしい、と思って窓の外は夕暮れどきで、わたしはあわててカーテンを閉めた。

 そこに、姉が具合が悪そうに部屋に入ってきた。苦痛な表情で、下腹を押さえている。わたしは立ち上がって姉の歩みを助けると、姉は笑って、やさしくわたしの手を振り払った。姉はゆっくり歩いて、ベッドに横になった。

「あのね、買って来たよ」

 わたしが言うと、姉は黙って手を差し出した。わたしはランドセルの中からカヴァーのかかった本を差し出した。姉は黙ったまま、ぺらぺらとめくると、おかしな顔をしてさっき苦心して作ったカヴァーを取り外した。

「あんた算数できないのねぇ、血かしら」

と、無碍にそれをわたしに返すと、本の中の一部を読み上げはじめた。それは、小堀杏奴が父森鷗外の姿を回想して書いた文章だった。

子供のころ父がよく、なんでもないことが楽しいようでなくてはならないと言い」「毎日の生活のなかの、一見つまらなく見えるどんな些細なことにも、父は全神経を集中して対処していた」

 読み終わると、姉はわたしの顔を見た。

パパみたいでしょ」

 そう言われてみればそのとおりだった。確かに父親はなんでもたのしそうにしている。庭弄りをして手がかぶれたり、やけどをしたりしてタイガーバームを塗るときでさえ、まったく困ったなあ、などと言いながらにこにことしていた。その指先のにおいをかいではふんふんと言ってみたりした。母親がいなくなって自分の役割になった家事も、ゲームのようにたのしんだ。雷も、わたしより小さい子供のようにおおお、などと言ってよろこんだ。雨の日は、みずたまりに入って足元をじゃぶじゃぶ言わせる。雨漏りも、わたしたちにとってはひとつのゲームだった。ああ、この音は悪い、奥の皿を持ってきなさい、などと父親は真顔で言った。

「そういえば、このあいだの雷のときもふたりで写メ撮りに行ったよ、外に」

 わたしがうれしそうに話すと、姉はあきれた顔でわたしを見た。

「だけどもっと馬鹿なのはお父さんだよ。雷と一緒にとってほしいって言うんだもん」

 土砂降りの日だったものだから、わたしたちはずぶぬれになって、結局翌日はふたりとも熱を出してせっかくの日曜日をつぶしてしまったのだった。

「あんたたちそんなことばっかりやってると、本当に生きるすべをなくすわよ」

「大丈夫だったもん、このあいだ理科百点だったもん」

「算数は三点だったじゃないのよ」

 姉はさっきわたしのひざに乗っけた算数のテストを出して指で挟んだ。

「ほれほれ」

 姉が揺らす紙を必死で取ろうとしていると、

「まあ、猫じゃらしみたい」

 看護婦さんが点滴を持って病室に入ってきた。がらがらがらーと点滴の液のぶら下がったパイプ管を持ってきた。

「はーい点滴ですよー」

看護婦さんは器用に姉の腕に点滴をつけると、その場を去っていった。そのうしろ姿を見送るか見送らないうちに、姉は自由なほうの右手でさっきの本をわたしのひざの上に載せた。

「これね、あんた持ってなさい。それで、つらくなったらそこを読んでパパのことを思い出しなさい。それで、パパのように生きるのよ。あんなにやさしい、ああいう大人にならなくちゃだめよ。あたしみたいになっちゃだめよ」

 姉は、わたしそっくりのその手で本をわたしのひざの上に置いた。けれどわたしはうんとうなずくことはできなかった。姉は、決してやさしくない大人でもなかったし、わたしにとってはとってもいとおしい存在だったのだ。

「わたしおねえちゃんのこと好きだよ」

 突然、言葉が口をついて出た。言っておかねばならないような気がしたのだ。

「まあ、あたしだって好きよ」

 姉はすこしも驚かずに答えた。そして、視線を上に上げた。

「でもほらあたしみたいなものの考え方じゃさ、その、点滴、見えるでしょう」

「うん」

 わたしも、姉の視線の先、点滴の袋を見た。

「こうやってぽつぽつぽつぽつこぼれおちてっちゃうのよ、人間てさ」

 姉は、ぽた、ぽた、と管を流れてくる液の滴り落ちるさまを見ていた。

「だけど、世の中にはあんまりいろいろこぼさなくてもうまくやっていけるひとがいて」

「うん」

 わたしたちはふたりでそのしずくのひとつひとつを見ていた。

「それが、パパみたいなひとなのよ」

 わたしは姉の顔を見た。午後の光で、点滴を見つめる横顔がうきぼりになっていた。

「あたしもあんたのことすきよ」

 点滴の袋を見つめたまま、姉は言った。それからすこし考えるふうな顔つきになって、

「あんた、ちょっとこっちにきなさい」

 と、わたしをベッドの横まで呼んだ。

 それは、びっくりするようなものだった。あまりのすさまじさに、わたしは言葉を発することができなかった。そんなものをはじめて見た、という衝撃に加えて、それが姉のものであることが、とても信じられなかった。

 姉は、パジャマの上半身の下のボタンをはずして、先ほど痛そうに押さえていたところの傷を見せてくれたのだった。それは、おへその下から十五センチほどの傷跡だった。皮膚は引きつって、ジグザグ模様を描くようにして、その線に沿って傷は続いていた。古い皮膚と新しい皮膚がうまくつながっておらず、痛々しい深い傷だった。違う繊維同士が無理やりに結び付けられて、皮膚と皮膚とのつなぎ目はすこし黒ずんでいた。

 わたしは無意識に手を伸ばした。おそるおそるそこを触ると、やわらかい感触がして、それから傷跡のでこぼこがさらに痛々しさを増した。引きつれた部分は表面は縫い合わされた布のようだったが、触ってみると、肉も同時に引きつれているのがわかった。わたしは大切なものを触るように、ゆっくりとその傷跡をなでた。そのあいだ姉は一言も言葉を発さなかった。

「痛いの?」

 わたしはこわごわと口を開いた。

「痛かったわ」

 姉は答えた。

「でも今は痛くないわ」

 わたしは言葉を口にすることができなかった。

 姉は、なにもなかったようにパジャマボタンを留めた。その仕草は、あたかも慣れたふうだった。けれど、その傷はなん人のひとが見たのだろう。きっとそれは五本の指にも足らないはずだ。わたしはそのうちのひとりなのだ。わたしは、絶対に姉の傷を忘れてはいけないのだと思った。それは下手をするとひとつのかせのようなものだった。しかし、わたしは忘れるなんていうことはできなかった。

 黙りこくるわたしに向かって、姉は笑って

「あんたに見てもらってよかったわ」

と微笑んだ。

「大丈夫、これはついてしかるべき傷だったんだから」

 父親が迎えに来ても、わたしは黙ったままだった。帰っても、いつものラジオには集中できなかった。眠ろうとしても、まぶたの裏にあの傷がまざまざと浮かんできた。わたしはすこしだけ泣いた。姉を思って泣いた。

 そのとき、家の電話が鳴った。父親が低い声でぼそぼそ話すのを夢うつつに聞きながら、わたしは眠りの世界へと落ちていった。


 次の日は日曜日で、父親が朝早くにわたしを起こした。いつもならば日曜日というのはゆっくり寝ているものなのだが、わたしを起こした父親は、今までにない真剣な顔をしていた。

河原に行くぞ、それからあの一番いい別珍のワンピースを着なさい。白いレースのついたくつ下をはいて、靴はエナメルのぴかぴかのにしなさい。磨いておいたから、とにかくはやくしたくをしなさい」

 そういう父は麻の上下を着て、ぴんとアイロンの聞いたシャツを着ていた。そしてお気に入りの、黒字に赤い斜めストライプの入ったネクタイをしていた。着替えながら住宅のすきまから外を見ると見事な晴れ空で、わたしは父親の様子を不思議に思いながらいそいそと着替えた。外から春の終わりの空気のにおいがした。

着替え終わって玄関に降りると、父親はすでに自転車を構えてわたしを待っていた。そして靴をはき終わったわたしに

「これを食べなさい」

と、アルミホイルのおにぎりを渡した。わたしは急いで自転車のうしろに乗ると、がしゃがしゃ言わせてアルミホイルのおにぎりを忙しく食べた。

 父親は今までにないスピードで河原に向かった。そしてシロツメクサのたくさん生えている場所まで行くと急ブレーキを立て、急いで降りた。鍵をかける父親に、ワンピースをずるずる引きずりながら後部座席を降りるわたし。父親は、わたしに目で合図をして、シロツメクサの中に足を踏み込ませていった。わたしが追いかけると、

シロツメクサをいっぱい取ってきなさい」

 父親は、聞いたこともないような強い声で言った。わたしは目の前いっぱいに広がったシロツメクサ畑の中から、必死になってシロツメクサを千切りとっていった。自分のまわりを摘み取っていくだけど、手の中はあっという間に三十本ばかりになっていた。そしてそれを手にして父親のところに戻ったときには、父親はシロツメクサを編みはじめていた。

「なに作ってるの」

聞くと、父親は手を止めずに

「わっかだ」

とそっけなく言った。

 父親の手はそのしわくちゃ具合には似つかわしくないほど、せ

JrTwyCfeapOJrTwyCfeapO2007/05/13 19:30Google is the best search engine